(受験)勉強で「望むような成績・良い結果が出ていない」ことが苦しい
勉強自体が趣味や目的である人を除いては、何か達成したいことがあって、そのために必要なものを学んでいる状態が「勉強」でしょう。
ひと昔前のステレオタイプだと、「良い会社に入り、良い給料をもらう」ために「良い大学に入る」ために「(受験)勉強をがんばる」というのがありました。
別に、これ自体も悪いことではないですよ。
人間が「苦しむ」時というのは、たいがい「ギャップ」に苦しむものです。
「こうあって欲しい」という願いと、実際との間の「ギャップ」が大きいほど、苦しみかねません。
「良い点数を取りたい」「野球でプロの選手になりたい」「大会で優勝したい」・・でも、現状はこんな感じ・・などなど、「ギャップ」は色んな所に存在しますね。
もちろん、「こうあって欲しい」という「執着」が小さいほど、「ギャップ」があっても気にならない可能性があるので、その場合は「苦しまない」という意味で、OKでしょう。
しかし、多くの人は「これだけ努力したのに」とか「これだけ時間と労力、費用をかけたのに」という想いで「執着」を強め、「ギャップ」に必要以上に苦しみかねません。
では、どうすれば良いでしょうか?
上記のことから考えると、主に2つのアプローチが考えられます。
一つは、「望む結果が出やすくなる努力」を、客観的な分析で割り出して、実行することです。
これには「分析スキル」が必要です。主観的に「やりたい努力」だけやっていては、実現は難しいでしょう。
例えば、「プロ野球の選手になりたい」から、「毎日、素振りを1万回やっています」という主観的な努力では、おそらく実現が難しいのは説明するまでもないでしょう。
やはり、客観的に「ギャップ」を分析し、具体的にそれを埋めて行く努力を積み重ねる必要がありますね。
二つ目は、「執着を減らす」ことです。
「努力した分、執着が増すのは当然」と思い込んでいると、苦しみから卒業することができませんし、悪い意味で過去に固執していると、目の前に新たなチャンスが来ても、取り逃がしてしまいかねません。
色んな宗教でも説かれるように、ネガティブな「執着」は本来要らないのです。
あなたがどちらを選ぶか、または両方を使いこなせるようになるか、は自由です。
客観的な分析から妥当な努力を重ねることで、最大限のチャレンジが可能になります。
本当の意味で「ベストを尽くし」、その結果が望むものでなくても、「執着」がなければ挫折感や喪失感に苦しむことはありません。
つまり、両方を使いこなせると、あなたの人生は「何度でも最高のトライができる輝いたもの」になり得ますね。
あとは、それぞれ具体的にどうやれば良いか、「方法の話」だけです。
以下の書籍などがお役に立てば、幸いです↓
【関連動画】
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↑「努力の方向性」が適正化されれば、日々をムダなく過ごせるようになるので、少なくとも「納得のいくトライ、納得のいく人生」になりますよ
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↑「執着を手放すこと」を目的にしてしまうと、挫折しかねません。
そうではなく、「結果的にでも執着が減れば、ラクになる(苦しみが減る)」ので、カンタンな方法で「結果的に」執着が減るなら、それに越したことはないですね
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