良いリハビリの先生の見分け方

立場が変われば正義も変わるので、「この世に善悪はない」と捉えていますが、

 

 

 

便宜上、「善悪」を言った方が分かりやすいため、ここではあえてそういう表現をしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リハビリを受けたい(家族に受けさせたい)と思った時に不安になるのが、

 

 

 

「良いリハビリの先生に巡り合えるのか?」ということですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

これまで、医師に関しても、

 

 

 

「お医者さんによって、全然違うなあ。私はこういうお医者さんがいい。」

 

 

 

みたいな感想を持ったことがある人も多いでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

では、リハビリの先生に関しては、

 

 

どういうポイントを見ればいいでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あくまで、私見かつ1例に過ぎませんが、

 

 

私がこれまで大勢のリハビリの先生を(自分もリハビリ専門職として)見てきた経験からは、

 

 

 

以下のようなポイントで見分けられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

良いリハビリの先生は、簡単に言うと、

 

 

 

「ちゃんと説明してくれて、具体的な結果(変化)が出せる人」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちゃんと説明」というのは、

 

 

 

 

・専門用語は極力使わず(当たり前ですが)、

 

 

・質問には、ごまかさず全て答えてくれて(更に当たり前ですが)、

 

 

・初回ないし早い段階から「ここが悪いので、こう介入して行きます。見立てでは、これくらいの期間で、こうなる可能性が高いです。」と伝えてくれる人です。

 

 

・こういう人は、論理的で、話している内容の「整合性」がとれているものです(話の辻褄がちゃんと合っています)。

 

 

・説明能力が高い人なら、相手に医療知識がなくとも、「なるほど」と納得のいく順序や例え話で説明してくれます。

 

 

 

 

・客観的に分析が出来ている人なら、話し方が「~だと考えられる」とか「~の可能性が高い」と自然となります。

 

 

 

※これはとても大事なことです。仮に結果が自分の予想と異なっていても、

 

 

 

 

(この検査結果をみると)『こう考えざるを得ない』『この可能性が最も高い』と客観的に考えられている証拠であり、その人のエゴ(こうあって欲しい、その結果自分が称賛されたい)という想いは排除されている状態で、信憑性が高いのです。

 

 

 

 

リハビリは医学であり、科学なので、基本は客観的でなければなりません。主観を入れて良いのは、『今日は顔色が悪そうだなあ』のような『印象』の項目だけなのです。

 

 

 

 

ところが、科学であるリハビリを実践できていない(自称?)治療者は、

 

 

 

 

エゴや主観を、至る所にちりばめてきます。

 

 

 

 

そういう人は要注意です。必ず『思う』が口癖になっています(後述します)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また、

 

「具体的な結果(変化)が出せる」というのは、

 

 

 

・治療が進む中で、見立てで説明した通りに、具体的な改善等を見せてくれる人です

 

(例えば、「これくらいの期間で、立ち上がれるようになりますよ」→「実際できたでしょう」、という感じ)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、その逆はどうでしょう?

 

 

 

 

 

 

 

 

・説明は専門用語だらけ(けむに巻かれたように感じますね)。

 

 

・質問にちゃんと答えてくれない(論外ですね。軽んじられてる感じがしますよね)。

 

 

・初回ないし早い段階で、道筋を示せない(「この先生、大丈夫?」と不安になりますよね)。

 

 

・話の整合性がとれていない(「この間言っていたことと違う」と不信感を持ちますよね)。

 

 

・話が主観的。こういう人の話し方は「~だと思う」に自ずとなります

 

 

 

分析できていないので、最も可能性が高いことを割り出せていないからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは非常に大事なことなので、もう少し付け加えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

極端な例え話ですが、皆さんが熱を出して病院を受診した際に、

 

 

お医者さんがもしも「主観的」だったら、どうしますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?、熱?、ああ、ただの風邪だと俺は『思う』よ。」

 

 

「え?、検査?、ああ、しなくても大丈夫だと『思う』よ。」

 

 

 

「え?、薬?、ああ、それ効くと『思う』よ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうですか? こわいですね?

 

 

 

何ひとつ、客観的な根拠がなく、確かさの度合いが低く

 

 

 

その人が『そう思う』というだけの治療なんてされたら、

 

 

 

患者さんは、たまったもんじゃないですよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

医者でそういう人はまずいないでしょうが

(いたら『ヤブ医者』と呼ばれるんでしょうけど)、

 

 

 

リハビリの専門職には、残念ながら、少なくないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんがリハビリの先生を選ぶ際に、よく聴いてみて下さい。

 

 

 

『思う』を連発してないか(自分で確かめていたり、根拠があれば「思う」という曖昧な言葉にはなりません)。

 

 

 

 

こういう人の説明をきいても、おそらく理解できない可能性が高いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また、治療に関しても、

 

 

・当然、具体的な改善は見られません(改善しても「まぐれ」か、自然治癒の可能性が高いです)。

 

 

・良くならないどころか、あちこち痛くなったり、余計に悪くなったりすることも多いです。

 

 

・良くならない言い訳ばかり並べ、あげく利用者(患者)さんのせいにしたりします(果てしなく論外です)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これまでにリハビリを受けた経験がある人なら、心当たりのある内容だったかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に一つ付け加えると、

 

 

 

 

残念なことに、「経験年数」は、あてになりません

 

 

 

 

経験年数とは、適切な方向に経験を重ねてこそ意味のあるものですよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

治療者と称して、自分がやりたいことばかり積み重ね、

 

 

 

あらぬ方向に進んでしまった人は、

 

 

 

 

何年臨床をやっていようが、「新人」です。

 

 

 

本当の新人よりも謙虚さがない分、もっとタチが悪いかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リハビリも人間がやる仕事なので、個人の資質の差が大きく出ます。

 

 

 

 

「この世に善悪はない」とは言え、皆さんが良いリハビリの先生に巡り合えることを、心からお祈りします。